だいしょう
なかてんざいするしゅうらく

1 やなぎ西にしなか

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みなみせんだいえき西にしぐちみぎひがしぐちれんらくするせんきょう

みなみせんだいえき西にしがわにある西にしなかには、あたらしいみせいえちならび、はたけもしだいにたくわってきています。

しょう47ねん(1972)に、かくととのえて、あたらしいどうをつくり、たくすすめるためのくみあいができ、しょう56ねんまでにやく97ととのえられました。しょう51ねん(1976)には西にしなかえいじゅうたくなどもでき、西にしなかひとかずは、どんどんふえつづけています。

むかしの西にしなかは、はたけが広びろとひろがり、すうけんのうてんざいしていました。いま西にしなかしょうがっこうひがしがわには、きれいなみずのわきいけがあって、そこからほうようすいはしっていました。したがって、のうひとおおかったのですが、いまは、かいしゃなどにつとめにひとがほとんどです。あさみなみせんだいえきは、つとめやがっこうかよひとでにぎわい、こくどうごうせんちゅうしんへつとめにくるまたいへんこみあいます。

かくせいまえ西にしなかやなぎ

しょう58ねんには、西にしなかしょうがっこうができ、ひろどうこうえんなどけいかくてきかいはつすすめられ、きちんとととのえられたまちづくりがおこなわれています。あたらしく、やなぎの47も、いえなどをゆうてることのできるいきくわえられました。しょうらいは、すう4000じんこう12000ひとくらいのまちになるのではないかとかんがえられており、ますますじゅうたくとしてのやくわりがつよくなることでしょう。

やなぎとりがわにそったはたでは、さいづくりがさかんです。おもに、じゃがいも、にんじん、ほうれんそう、だいこん、、きゅうり、はくさいなどがつくられ、なかでもじゃがいもは、「せんだいれいしょ」として、とうほくかくけんとうきょうほうめんにもおくられています。やなぎつくられたさいは、それぞれののうからやなぎしゅうしょはこばれてきます。そこでまとめられたさいは、とりにあるさいしゅうそうはこばれたり、ちょくせつせんだいちゅうおうおろしうりじょうへおくりされたりします。

でんとうけつぐやなぎづくり

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はんせいだいからおこなわれていたやなぎづくりは、いまもなお、けつがれています。

いまは、ただいっけんだけとなったとうさんのいえから、あさはやくからかみすきのおとこえてきます。つめたいみず使つかってのぎょうは、ほんとうたいへんです。げんりょうこうぞは、ぜんやなぎあたりのはたけでさいばいされていましたが、いまは、とおふくしまほうかられています。このごろでは、げんりょうれることもしだいにむずかしくなってきています。

とうさんのいえでは、のほうそうまつかわかたがみ使つかわれるかみつくっています。また、ちゅうもんによっては、はがきや、しもつくっています。おおくのひと使つかってもらい、のよさをってもらいたいものです。しかし、あとをつぐひとがいないのが、なやみだということです。400ねんものながあいだつづいているでんとうを、たやしたくないものです。

やなぎようえんきゅうやなぎぶんこうみぎ端はりゅうしょう

西にし(1807~1881)

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かわまちしょうてんあらもの)のななだいぶんみせで、あつかっていたしょうひんかいりょうして、それをあたらしくつくほうほうをつぎつぎにしました。やなぎかみかさかみかいりょうしたり、しんしゅういまながけん)からかみしょくにんまねいてもとゆいかみせいさんはじめさせました。また、ぼんちょうちんようそめつくるのにもせいこうし、やなぎはってんのもとをつくりました。

やなぎりゅうしょうにある西にししょうとく

2 なかまちまえ

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なかまちせんだいなんにあり、きたがわには、とりがわかわはばおおきくひろげてながれています。みなみがわつづきでとりつづいているため、むかしはとりぐんなかにありました。せんだいへんにゅうしたのはいまから45ねんほどまえのことですから、みなさんのおじいさんやおばあさんはとりぐんとよばれていたころのなかのことをよくおぼえているとおもいます。

このなかというめいは、んぼのなかしゅうらくというようなでつけられたとおもわれますが、ふるろく調しらべてみると、いまから450ねんほどまえろくに、「じゅうかんきゅうひゃくもん なか」とあるのがいちばんさいしょといわれています。そのころ、なかとりにあって、こめが109こくやく252ひょう)ほどとれるだったということがわかります。

そのあとなかとりぐんまえむらなかはいりましたが、だいになって、とりがわみなみがわ宿しゅくつくられると、宿しゅくえきまえとして、またなかがつかわれるようになりました。

めい22ねん(1889)にはちかくのよっつのむらがいっしょになって、とりぐんなかむらとよばれるようになりました。むらやくしょうがっこうないにつくられて、とりがわなんがんちゅうしんとしてはってんしてきました。さらには、しょう54ねん7がつから、それまでせんからながしたしんできたじゅうしょめい使つかわれなくなり、なかちょうばんごうあらわされるようになりました。

みなさんのおとうさんやおかあさんがしょうがっこうっていたころのまちのようすやがっこうのようすをうつしたしゃしんがあります。こくどうごうせんきゅうかいどう)ぞいにいえがたくさんあつまっているのがよくわかります。どうちょっかくいえならんでいるのは、宿しゅくまちとくちょうです。

こうていひだりなかちゅうがっこうみぎなかしょうがっこうしょう30ねん代)

がっこうしゅうらくそとがわてられています。しょうがっこうきたがわれつならんでおり、こうていをはさんでみなみがわちゅうがっこういちれつならんでっています。がっこうのまわりにはいえがあまりなくはたけになっています。いまがっこうのまわりのようすとくらべるとずいぶんちがいます。

こうていには、なかさくらがはえているのがわかります。これは、たいしょうねん(1914)にすうじっぽんえたものだそうですが、げんざいはたった3ぼんしかのこっていません。

70ねんものながあいだなかしょうがっこうどもたちをまもってきた、このさくらを、なかしょうがっこうとしてたいせつにまもっていきたいものです。

なかしょうがっこうさくら

ところで、なかまちひとびとは、たいへんずきで、たいしょう15ねんごろなかせいねんだんが、とりぐんたいかいで3ねんれんぞくゆうしょうしたこともありました。いまはたいきょうしょうねんだんなどのかつどうがさかんです。このしょうねんだんは20ねんまえにつくられましたが、せんだいでもさいしょほうなのだそうです。こういうだいもあってなかしょうがっこうけんこうづくりきょういくねっしんおこなわれていました。しょう28ねん、29ねん、30ねん(1955)と、3ねんれんぞくせんだいけんこうゆうりょうこうえらばれました。いまこうていかたすみにっているけんこうとうは、そのことをねんして、ぴーてぃーえーゆうひとたちがてたものです。このぞうは、せんだいんだゆうめいちょうこくおきなきょうせいせんせいさくです。

なかしょうがっこうの「けんこうとう

げんざいなかしょうがっこうこうていにはかんしょうめいせつがもうけられ、ふゆあいだをのぞき、まいばんのようにたのしむひとびとようされています。

せんだいおおきくなるにつれて、なかにもたくさんのひとたちがうつむようになりました。そのため、さいだいせいさんだったなかのおもかげはましにうすれてきています。のうすうは190けんありますが、せんぎょうのうは、そのうちの10軒けんほどになってしまいました。

また、宿しゅくからはったつしたしょうてんがいは、せんだいでもはやくにしょうてんかいがつくられ、にぎわってきましたが、てつどうようしてせんだいちゅうしんにかんたんにけることや、どうがせまくちゅうしゃができないこと、ぞいにおおがたがつぎつぎにつくられたりしたことなどから、おきゃくがしだいにってきており、しょうてんかいひとびともこまっています。

じんこうえるにつれて、のまとまりがうすくなることをしんぱいするひとびとあいだから、あたらしいふるさとづくりのこえがあがり、もとしょうてんかいひとびとなかしょうがっこうぴーてぃーえーちゅうしんになって、なかなつまつりがおこなわれるようになりました。どもかいごとにつくったどもみこしがちょうないをねりあるき、しょうがっこうこうていにはみせがつくられ、ぼんおどりがおこなわれます。おぼんでふるさとにかえってひとたちも、ふるさとのいちたのしんでいます。

ぼんおどたいかい なかしょうこうてい

どもみこし なかさんちょうきん

ぶんは「こうほうなかだ」よりばっすい

また、こうみんかんでは、けんぜんせいしょうねんいくせいあかるいまちづくりのために、いきぐるみせいそうかつどうをすすめています。おやがいっしょになってはたらいたり、しょうちゅうがくせいこころのつながりをそだて、ひとひとりのどもにしゃかいさんのよろこびをもたせようとするものです。むわたしたちは、せんのこしてくれたものをたいせつにしながら、あたらしいなかいきづくりに、ぶんのできるところからさんしていきたいものです。

3 ふくろばら

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ふくろばらなかろうまるあいだにあって、せんだいなかちょうこうてんからひがしに1ほどはいったいきです。しょう34ねん(1959)ふくろばらひらぶちはじめてえいじゅうたくができました。そのあとじゅうたくひがしほうにむかってのびるにしたがい、これまでのふくろばらすいでんはたけおおいところでしたが、それがどんどんたくにかわり、いまでは、ほかからたくさんのひとはいってきてむようになっています。

んでいるひとたちしょくぎょうをみるとおおく、ぜんたいの69.9にもなり、のうぎょうは1.6とわずかで、ひとぐらいです。

んでいるひとたちほんせき調しらべてみると、みやけんないかくはもちろんのこと、とうほくろくけんをはじめ、とおかんとうかん西さいからているひとびともたくさんいることがわかります。

いきないには、だいじゅうきょあとであるあとがわせきや、うつせきなどがあり、れきのあるところです。とりがわせんしきではおおつかさんふんられます。このふんのぼってきたほうながめると、むかしとおづかふんえたといわれています。

うちほうりんは、ひがしほんがんまつとして480ねんまえにつくられたゆいしょあるてらで、にわのみごとなゆうめいで、ぞんじゅもくにもなっています。

ふくろばらしょうがっこうまえていからしんごうきたきたはいると、さかじんじゃがあります。おみやはんしょうやぐら)、こうかいどうしゅうかいしょ)やひろなどむかし姿すがたのこしています。しょうのはじめころ、まいとしのようにつづいたきょうさくいきひとびとが、たすってこくふくしようとのねがいをこめててられたものです。ひろには、このことをあとひとびとにつたえるためのせきがあります。

さかじんじゃふくろばらしゅうかいじょ

さかじんじゃまえねん

ふくろばらでは、あたらしいじゅうたくあいだには、ひろにわのあるのうられます。これらのふるたてものあたらしいたてものしょうてんなどがうまく調ちょうして、ぜんにながめられるのもふくろばらとくしょくのひとつとなっています。

4 ろうまる

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ろうまるせんだいなんとうほうこうにあり、きたにはとりがわながれ、みなみとりせっし、ひがしひがしろうまるをへて、たいへいようへとつづく、かいばつへいきんへいたんです。

ろうまるというめずらしいめいは、どんなところからきたのでしょうか。いろいろなせつがありますが、むかし、とりろうというひとが、いまぜんとくのあたりにやかたをかまえていました。そのやかたろうまるとよんでいたそうです。それが、やがてめいになったのだといわれています。

なお、まるとはしろのことをさします。

ろうまるしょうがっこうみなみを、じゅうごうようすいはまぼりながれています。このほりにそってしょう30ねんごろまではみなみがわいったいすぎだちのいぐねでかこまれ、ひろにわかまえる100ほどののうられ、そのぜんぽうゆりあげの「まつ」をとおながめてでんひろがり、きたがわにはとりがわかわぎしまで、きれいにたがやされたさいばたけつづいていました。

ろうまるは、ふるれきのあるです。せきふるようすいもたくさんのこされています。とりわけ150ねんつづいている「ろうまるそうねんかい」は、すばらしいかいです。

このかいは、てんぽうねん(1834)にむらおこしのため2、30さいむらひとたちが、しんめいこうというかいをつくったのがはじまりです。

こうずいからむらまもごとをしていきのためにつくしてきました。このかいのおかげでおちあいわたしがしょう41ねんがつまでつづけられました。ろうまるしょうがっこうにあるにのみやきんろうぞうは、しょう12ねん(1937)につくられましたが、これもそうねんかいかずれないさんひとつです。

150しゅうねんいわろうまるそうねんかいしょう60ねん11がつ

ろうまるでは、しょう25ねんに、えいかいつうし、しょう40ねんにはすいどうもひかれましたが、このころからいきようおおきくわりました。じゅうたくきゅうえ、しょう40ねんにはえいじゅうたくができたので、100から400になり、10ねんあとには2500と6ばいにもなりました。

いますいどうをつくったりどうひろげたり、またえいじゅうたくなおすこともけいかくされています。これからのろうまるは、ますますみよくなっていくとおもわれます。

5 ひがしろうまる

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とりがわたいへいようにそそぐこうからていぼう沿いにじょうりゅうへ5ほどのぼったところに、しょう57ねんがつ(1982)かいこうしたひがしろうまるしょうがっこうがあります。かいこうまえねんなかとうちょうないかいきょういくいんかいとではない、それまでのろうまるがっなかほどにさかいせんをひき、ひがしみなみとりに、きたとりがわかこまれたひがしがわひがしろうまるがっにしました。

がっこうじゅうしょは、ろうまるあざしょうきたいちばんですが、このあたりには、しょうまえなかひがしみなみ・というめいがありますが、これはしょう33ねんにそれまで便べんだったじょうせいこうをしてあたらしくまえをつけたものです。わたすかぎりせいぜんひろがるんぼはいまでもがい調ちょうせいいきゆういえなどをてることのできないいき)になっていて、おりおりちょうまわっています。がっとうたんしゃくじょうじまというめいがありますが、このへんいったいおおむかしうみだったことをものがたるものです。

ゆりあがりおおはしアンドンあんどんまつみぎうえしゃくじょうじま

もとのうで、しょう30ねんごろまで使つかっていたのうや、せいかつどうひがしろうまるしょうがっこうきょうりょうしつにいまてんされています。

しょう40ねん(1965)ころにえいじゅうたくだんがつくられてからはきゅうににぎやかになり、えいしゅうてんろうまるせんのほかにひがしろうまるせんバスていもでき、ほんすうもふえました。

そのころからびょういんしょうてんができはじめ、こうせついちや、おおきなかいしゃもできて、あさせんだいないむかつうきんしゃで、どうきゅうにこみしました。ここにあるおちあいかんは、それまでおおみずおおかったきゅうそんぼりとりがわみずりょうをかげんするためにしょう28ねんにつくられました。

そんぼりまえ)とこうせついち

しょうねんだいきょうさくのときにてられたごうそう
ろうまるはまぼり

また、せきとしてはおちあいかんのんぜんとくれんこうなどのむかしからのおでらや、うちせきべんてんがこいふんしんめいせきしろまるふんなどのせきもあります。

おちあいというめいは、ひろがわとりがわとのごうりゅうてんし、そこにはかやぶきおちあいかんのんどうがあります。これにはつぎでんせつがあります。せんだいはんしゅまさむねだいにしていたじゅういちめんかんのんが、とりがわこうずいながされそうになったものを、このあたりでかにがたくさんあつまって、ながすのをふせいだということです。いまでもかにのほうのうしてねがごとをするならわしがのこっています。

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