だいしょう
じんじゃひとびとしんこう

1、くましんこう

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はんとうみなみのはしにあるくまは、うっそうとのしげったやまやまうつくしいかわおおきなたき、そしてうみにかこまれたしんてきところです。むかしのひとびとは、『とおいつらいたびをのりこえて、くまにたどりつくことができれば、ぶんねがいごとがかなえられる。』としんじていました。そこで、おおくのひとが、しあわせをねがってくまごんげんにおまいりするようになったのです。

いまから1000ねんほどまえには、とうほくほうへもくましんこうひろまってきました。しかし、くままでのみちとおくけわしいため、おまいりすることは、とてもたいへんなことでした。そこで、くまににているたかたてやまに、ほんぐうしゃしんぐうしゃしゃさんしゃてられました。それまで、くまへおまいりしていたひとびとも、とりくまさんしゃへおまいりするようになったということです。

2、とりろうじょ

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いまから850ねんほどまえしゅうくまやまぶしが、とうほくほうたびすることになったので、そのことをくまかみげました。すると、ゆめなかかみがでてきて、『おまえがこれからこうとしているとうほくほうには、とりろうじょという巫女みこがいる。わかいころは、よくおまいりにてくれたが、としをとったので、いまはもうこなくなってしまった。だが、いまでもまいにちおがんでいることは、とてもかんしんなことだとつたえてほしい。』といました。やまぶしをさますと、『みちとおし としもいつしか いにけり おもいおこせよ われもわすれじ』といううたなぎにかいてあったので、やまぶしは、それをってたびちました。とりいたやまぶしは、さっそく、とりろうじょをたずねて、ゆめはなしをし、なぎをわたしました。ろうじょは、なみだをながしながらよろこび、「わたしは、ねんをとってしまい、くままでおまいりすることができなくなってしまいました。
あまりにもかなしいので、おみやてて、くまごんげんをまつりまいにちおがんでいたのです。」とい、やまぶしをおみやあんないしました。

そのひとびとは、とりくまさんしゃて、ろうじょをまつるおみやてました。ろうじょはかは、とりしもようでんにあります。

ろうじょじんじゃなかななちょう

3、とりくまさんしゃ

(1)ほんぐうしゃ

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ほんぐうしゃは、さくもつかみさまとしてられており、50ねんほどまえまでは、いねのまもりとして、というおふだくばっていました。たねまきのわったなわしろみずぐちに、を、たらのにさかさにはさんでてて、とりがいをふせぐまじないをしたということです。4がつ18にちのおまつりには、500ねんほどまえやまぶしつたえたといわれる、くまじゅうしん鹿しかおどり(みやけんけいぶんざい)が、げんざいおこなわれています。

(2)くまじんじゃ

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くまじんじゃ

くまじんじゃは、くましんぐうしゃともいい、たかだてくまどうにあります。ひろけいだいには、りっぱなしゃ殿でんや、ふるたてもの(およそ340ねんまえ)としてじゅうようほん殿でんとりろうじょをまつったろうじょみやなどがあります。また、たくさんのいっさいきょうがおさめられているもんじゅどうや、みなもとのよりともがこしをかけたといわれるいしゆうめいです。

くまじんじゃも、さくもつかみさまとしてられ、4がつ19にちと、きゅうがつ9日ここのかに、おまつりがおこなわれます。そのときにおどられるぐらがくは、むかしからつたえられているものとしてられています。

(3)じんじゃ

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じんじゃは、とりへいたいへいようをみわたせるたかだてやまちょうじょうにありますが、つぎのようなはなしつたえられています。

いまから1300ねんほどまえのあるゆりあげはまりょうていましたが、そのいっぴきのさかなもとれなかったのでかえろうとしたときうみそこからひかりかがやくしんたいつけました。

は、それをたいせつかえって、まいにちおがんでいました。そのうちはまひとびとは、まいばんふしぎなひかり西にしほうへとんでいって、たかやまにとどまるのがえるとはじめました。

それをいたは、そのひかりのとどまるしょが、たかだてやまちょうじょうであることがわかったので、しんたいをそこにうつし、たかだてやまぐろごんげんとよぶことにしました。

そのとりろうじょしゅうくまさんしゃみやかみさまをおむかえしたので、それからは、くまさんだいごんげんとよぶようになったということです。このようなわけで、じんじゃゆりあげはまは、ふかいつながりがあるのです。いまでも、じんじゃしんたいをみこしにのせて、ゆりあげはままではこび、うみれるおはまりというしんが、ときどきおこなわれています。しょう60ねん(1985)に、15ねんぶりにおはまりがおこなわれました。なお、めい31ねん(1898)に、じんじゃてかえたときめんなかから、たくさんのかけぼとけふるいかがみがはっけんされました。それらは、くにけんじゅうようぶんざいていされています。いまでも、おおくのひとびとが、たいりょうほうさくねがって、じんじゃにおまいりしています。

とりがわこうゆりあげこう

4なかむらじんじゃ

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めい42ねん(1909)、やなぎいかづちじんじゃなかしんめいしゃふくろばらさかじんじゃろうまるしんめいしゃまえろうじょじんじゃなどをひとまとめにして、なかむらじんじゃとすることになりました。

あたらしくじんじゃてるときいかづちじんじゃむらなかでもおおきくりっぱだったので、はい殿でんしゃ殿でんをそのままのかたちうつすことになりました。やなぎからあんきゅうまではわずか1みちのりですが、はたけうえをまっすぐにはこぶのはとてもたいへんこうだったそうです。

しょう53ねんみやけんおきしんで、じんじゃもだいぶいたんでしまいました。そこで、しょう61ねんがつかいちくされました。

なかむらじんじゃ

5、おちあいかんのんどう

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おちあいかんのんは、むかしふくろばらにあったということです。いまからおよそ350ねんまえまさむねふくろばらでたかがりをしました。そのときまさむねは、ねがごとをしたところが、そのねがいはかなえられたとのことです。かんしんしたまさむねは、おどうをつくりなおすことにしました。そのため、きたじょうこおりやまむらにあった)にあったしゃもんどうをほどき、ざいりょうひろがわながして、ろうまるおちあいまではこびました。できたおどうふくろばらにあったかんのんさまうつし、おちあいかんのんあらためたのです。

せんだいには33のかんのんがありますが、おちあいかんのんは31ばんになっています。このなかにまつられているのは、かくだいつくったものとわれているじゅういちめんかんのんさつです。かくだいいっぽんからみっつのかんのんさまつくったそうですが、そのひとつはろくごうにっに、ひとつはながまちに、のこひとつがおちあいにまつったものだそうです。

このかんのんどうたてものは、かやぶきいりづくりで、かざりけのないがっちりしたつくりです。しょう44ねん(1969)には、けんじゅうようぶんざいさだめられました。

まいとしきゅうれきの7がつ9日ここのかおこなわれるまつりには、ろうまるふくろばらなかやなぎゆりあげなどから、たくさんのひとがやってきます。

6、さんざんこうかみまい

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なかふるいえもんげんかんうえほうじんじゃふだがいっぱいってあるのがみられます。また、みちばたじんじゃけいだいに「殿どのさん」とかれたいたもみられます。

なかひとびとは、むかしからのうぎょういちだんらくするとじんじゃをつくってかみまいりをするふうしゅうがあります。それは、てんこうはいされるのうぎょうをしているひとびとてんさいへんもっとおそれていましたので、かみうやまい、せんをまつるしんこうとくあつかったせいでしょう。

いまでもつづいているものに、ちかくはじょうさんまいりや、きんさんまいり、とおくではやまがたけんさんざんこうこうたいじんぐうのおこうふるみねじんじゃとちけん)のこばはらこうやまじんじゃふくしまけん)のさつすのやまかみこう、おさんかみとしてやまかみこうなどがあります。なかでもさかんなのはさんざんこうで「おやまがけ」ともばれます。やまがたけんちゅうざんがっさん、そのなん西せい殿どのさんほく西せいはなれたぐろさんみっつのさんさんざんばれ、ひとざとからはなれたおくぶかしんてきなところでばんだいあさこくりつこうえんいちとなっています。むかしから西にしこうさんにならぶやまぶししゅげんどうじょうとしてゆうめいでしたが、それがだいちょうにんむらびとさんがくしんこうしょともなり、かんとうとうほくかくからおおくのひとあつまるようになりました。

ひとたちもまいとしなつになるとで2はく3日みっかのおまいりにかけます。だいさんいっこうは50にんほどですが、こうたいかけるきまりをつくっていて、いまこうさんしているひとたち230にんが、5ねんに1かいまいりできるようになっています。これはだいさんこうといわれていて、むかしからのかみまいりののきまりでした。

しゃがなかっただいには、なかからあるいてかけ、たかだてあきやまがたやまてらとおり、さんざんまでおうふくはく8日ようかくるしいたびだったそうです。そのためおやまがけのひとたちは、しろしょうぞくをつつみぞくみずさかづきをかわしてかけたといわれています。また、おやまがけのいのって、おぼんの14には、ゆうしょくどもたちはみなそとちいさいぼんぢょうちんをぶらげて、にぎやかに「ろっこんしょうじょう」「おおやまはんじょう」ととなえながらこくどうみなみからきたへ、きたからみなみへとながあるいたものだそうです。こくどうくるまこうつうがはげしくなりむかしのようなふうりゅうぎょうなくなりましたので、いまとなってはなつかしいなかまちふうぶつかたりつがれるだけとなりました。

かみまいりをするこうのほかにこうばれるものにろうまるかんのんこうふくろばらほうおんこうといっただんこうじゅうや、おんなひとだけがあつまっておまつりするなかやまのかみこうなどがありいまつづいています。

いまむかしとなっておとしりからかたりつがれているこうじゅうには、むらびとぜんいんあつまってとりきめたというけいやくこうや、ごそうがいただけるのでたのしみにそのるのをっていたというこうしょうじんこうだいこうなどのねんちゅうぎょうもありました。

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