だいしょう
とりがわひとびとのくらし

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なかむわたしたちのくらしにとって、とりがわはいろいろなかかわりいをもっています。

きんしゅう』に

みちのくに
ありというなる
なとりがわ
うきなとりては
くるしかりけり

と、うたにもよまれているとりがわは、ふるくから、うたまくらとしてゆうめいでした。

せんしきちかくのはたけには、にんじんやじゃがいもづくりにせいをのうひとびとの姿すがたられます。にちようきゅうじつともなれば、たのしむひとかわあそぞくつれの姿すがたなども、かずおおかけられます。また、あきふかまってくるとさけものぼってきます。

わたしたちのこのなかは、おおむかしから、とりがわじょうりゅうからはこつづけてきたいしすなつちなどのうえにあります。はたにゆたかにみのさくもつも、そのだいそだてたものです。また、そのみのりをたすけてきたのもとりがわみずなのです。

しかし、ひとびとは、ながあいだとりがわくるしめられてもきました。もともとこのかわは、みずりょうおおいうえにながれもきゅうだったので、なんとなくこうずいをくりかえしてきました。ひとびとは、それをふせぐため、いろいろふうをし、しんかさねてきました。いまでも、おおあめあとは、にごったみずがうずをまいてながれています。

とりがわは、もと、「なかがわ」ともばれていました。そののように、とりがわは、なかひとびとのくらしとは、ふかむすびついているのです。それで、とりがわのことを、なかまもそだてたかわというで、「なかははなるかわ」とんでいるひとたちもいます。

1、いまとりがわ

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せいりゅうでのあゆり こくどうごうせんとりばし

とりがわは、とりぐんあきまちくちとうげからながし、ひがしひがしへとながくだります。とちゅう、あかいしいしがわを、おちあいではひろがわわせて、ゆりあげたいへいようにそそぎます。このあいだながさは、およそ55あります。

このかわは、20ねんほどまえまでは、みずりょうおおくきれいでした。せんだいでは、やなぎむかがわにあるとみきんみずれ、すいどうみずとしてようしていたほどでした。しかし、しょう45ねん(1968)に、かまふさダムだむができてからは、すいりょうすくないかわになってしまいました。

ながれにそってかわのまわりにけてみます。じょうりゅうは、だいうえながれ、くちけいこくあきおおたきらいらいきょうなどのすばらしいけしきがながめられます。ながれがやがてくりばしきんをすぎると、きゅうにひらけて、ひろへいます。

ここからとりがわながれがゆるやかになり、はこんできたすなつちをたいせきし、せんじょうじょうをつくりました。

むかし、このあたりからりゅうは、なんこうずいにみまわれて、そのたびながれがわったところです。いまは、このふるかわながれをようしたすいが、あみのようにはしっています。

やなぎをすぎるとなかふくろばらろうまるひがしろうまるへと、いま、わたしたちがくらしているなかながれていきます。このいきには、とりがわはこんできたいしすなつちなどが、つもりかさなってできたぜんていぼうができていて、そこにはじゅうたくはたけおおくみられます。はたけには、じゃがいもやにんじんをはじめ、だいこん、とうもろこし、ほうれんそうなどのさいつくられています。ちかごろでは、おんしつさいばいもさかんになってきています。

こうには、まいとしたくさんのさかなみずあげされる、ゆりあげこうがあります。

2、むかしのとりがわ

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とりがわ(55キロきろメートルめーとる)は、くまがわ(225キロきろメートルめーとる)にくらべると、ながさはみじかく、ながれもきゅうです。そのため、なんとなくこうずいをおこし、がわながれもわりました。そして、ぜんていぼうをつくり、ていぬまをつくっていったのです。

いまから5000ねんぐらいまえなかは、まだうみそこだったのです。やがてうみがしりぞき、とりがわはこつちすなで、りくになったといわれています。ろうまるあたりを調しらべてみると、いまめんたかさは、ふるがわより5メートルめーとるじょうたかくなっています。

おおむかしのひとびとは、ひくいぬますいでんをつくり、うしろのだかあたりのよいおかうえに、んでいたものです。なかないにあるせきでみると、それはいまから1200~1600ねんまえのことといわれています。

よいだいしゅうらく
すいでんちかくのだかところだい上にほりをめぐらし、たてあなしきじゅうきょこくもつをたくわえるたかゆかそうからなっています。

3、とりがわさんぎょう

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さんぎょうについてよく調しらべてみると、みずふかいつながりのあることがわかります。とくのうぎょうは、みずなしでかんがえることはできません。わたしたちのせんも、このひろびろとひろがるへいから、すこしでもおおくのこめをとろうとかんがえたにちがいありません。そのつよねがいが、ろくごうぜきじゅうごうぜきをつくり、たくさんのほりかんせいさせたのです。ほりができるまえろうまるひがしろうまるすいでんは、みずはけがわるく、じめじめしていて、いたるところみずがわいていました。それで、むねまでどうにつかって、えをするありさまだったそうです。

なかで、さいづくりがおこなわれるようになったのは、ひろがわはしがかけられて(1661)、せんだいじょうができるようになってからといわれています。とくさかんになったのは、60ねんほどまえのことだそうです。

このほかのさんぎょうとしては、きれいなわきみずや、ようすいみずようしたやなぎづくりやまえのせりのさいばいがあります。

せり
ながれきまえのせりのさいばいまいあされるようなみずなかでのしゅうかく

4、とりがわめい

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ながれがきゅうで、みずりょうおおとりがわは、なんとなくこうずいをおこし、そのたびにろくごうぜきじゅうごうぜきも、しゅうぜんしなければなりませんでした。なかでも、てんめいだいきん(1784)のあったまえねんこうずいは、すさまじいものでした。くちくまどう)が、およそ1キロきろメートルめーとるにわたってながされてしまい、にごったみずながれは、やなぎからなかまちながれこみました。そのためまちぜんたいは、1メートルめーとるほどのみずなかにしずんでしまいました。そのうえ、さらに、まえふくろばらしもようでんたかやなぎなどのはたをもかわにしてしまったそうです。そのあと、30ねんかんは、もとのよいはたけにはもどらなかったとのことです。

このようなわけで、なかには、きたかわみなみかわなど「かわ」とつくめいや、はらまえなかはらなど「はら」のつくめい、「ふるかわ」「なか」「ふち」などのつくめいがたくさんのこっています。また、なかむかいがわが、50ねんほどまえまではおおはいっており、ろうまるむかがんにあるふるかわろうまるはいっていました。これは、とりがわおおきくながれをえたことによって、ひとつのむらふたつにけてしまったことをしています。

とりがわなんがんきんしつけい
やすげんより)

5、とりがわわた

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とりがわなかはしがかけられたのは、しょうほうねん(1647)のことといわれていますが、だいみょうぎょうれつはじまったころのことです。

そのころのばくのきまりで、まさむねも、たくさんのらいをつれて、かなければなりませんでした。そのためには、どうしてもはしひつようです。そこでせんだいはんでは、りょうがんむらむらのひとびとのちからをかりて、つくりげたのです。

ばしができるまでも、たくさんのひとが、とりがわをわたってしていました。たいせつやくをもってみやこのぼひとみやこからくだひとたたかいにでかけるへいたち、ごとをしにひとたびをするひとたちなどです。これらのひとびとは、がわはばがせまく、あさところえらんでわたったのです。それは、やまくりばしのあるあたりで、くりわたしとよばれたところでした。

とりがわくりわたきんまえくりばし

そのあとなかむらができるころになって、くりわたしまでのぼらなくとも、わたることのできるしょがみつかりました。やなぎあいちゃ)とおお宿しゅくざい)とをむすてんです。ここはがわはばがおよそ30メートルめーとるで、ふかさが40~50センチせんちメートルめーとるほどしかないため、あるいてわたれたのです。このようなかわのわたりかたは、めいわりごろまでつづいたとかんがえられます。

いまこくどうごうせんに、かごこうてんがありますが、このかごあさようしてわたったところといわれています。ろうまるわたどうというところもそうといわれています。

とりがわをわたるには、あるくほかに、ふねようしていました。やなぎむかがわ宿しゅくざいにあるごうないさんたくは、むかしは「いえ」とばれていました。とりがわわたしがあったとうふな宿やどになっておりもつうんそうあつかっていたそうです。

また、ろうまるおちあいむかがわふるかわとのあいだでも、わたぶねしてひとびとをはこびました。このわたぶねは、しょう41ねんがつまでることができました。

なかはしができてからも、おおみずがでるとながされることもあったので、そのときにそなえて、ここにわたぶねようしてあったということです。

ろうまるあいきん

6、じゅうごうぜきようすい

(1) じゅうごうぜき

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350ねんじょうまえなかふくろばらろうまるには、すいでんみずをひくようなちいさながわはありませんでした。そのためこのいきでは、むねまでつかるようなぬまに、わずかなすいでんをつくるしかなかったのです。ひろすいでんをつくるには、どうしてもとりがわからみずをひくようすいひつようでした。

そこで、とりがわからみずをひくためにつくられたのがじゅうごうぜきです。それがいつつくられたのかをしめすろくのこっていませんが、いまからやく350ねんまえではないかとかんがえられます。

そのころ、ようすいほりぞいにふるいえてられたことや、じゅうごうぜきじょうりゅうおよそ2キロメートルきろめーとるにあったろくごうぜきは、かんえい15ねん(1638)につくられたというろくのこっています。

じゅうごうぜきじゅうごうとは、12のむらというやなぎなかえきふくろばらろうまるまえうしかみようでんしもようでんゆりあげかみはまづかはらおおまがりたかやなぎむらをさしています。この12のむらに、とりがわをせきめたみずながしてやったことから、じゅうごうぜきまえがついたのです。

だいむらこくだか(「みやけん」より)

じゅうごうぜきのつくりは、80メートルめーとるのはばで、2メートルめーとるたかさにいしみあげ、そのうえみずがながれるようにつくられたものでした。いしおおきいもので1メートルめーとるくらいたかさのものなどをとなんぜんんで、みずをせきとめたようです。かいもなかったこのだいに、ひとちからだけでつくったのですから、たいへんこうだったとおもいます。それだけに12のむらきょうりょくは、たいへんなものだったろうとそうぞうされます。しかし、このようにしてつくられたじゅうごうぜきとりがわこうずいによって、まいとしのようにおしながされました。そのたびに、12のむらむらからすうにんずつて、「もっこぼう」と「てこ」でしゅうこうおこなわれたのです。このしゅうこうは「せきぶしん」とよばれて、いまからやく40ねんほどまえまでおこなわれていたそうです。

(2) ようすい

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じゅうごうようすいぶんすいこう やなぎまえはら
(ここからサイフォンさいふぉん西にしなかじゅうたくとおなかななちょうる)

じゅうごうぜきは、ひとびとのたいへんろうすえにできのぼりました。しかし、それじょうにむずかしいこうだったのが、せきからすいでんみずをひくようすいをつくるごとだったようです。

ようすいとりがわのむかしのながれのあとにつくられたとかんがえられます。しかし、おおきないしいわおおところを、そまつなどうでほるのですから、たいへんおおくのひとちからひつようだったようです。また、せきからようすいぐちであるうみまで、ながいところで7キロきろもあるのに、たかさのちがいは、せいぜい7ほどです。ようすいを10ほるのに、わずか1センチせんちしかけいしゃをつけられません。どのようにして、ほりをほったものかはろくのこっていません。おそらく、たいまつのをたよりにして、たかさをはかり、ようすいをほっていったものとかんがえられます。このように、たいへんごとにもかかわらず、ようすいあみのようにつくられていきました。そのため、あたらしいすいでんもしだいにひろがりました。また、ぬまのようなすいでんみずはけがよくなり、りっぱなすいでんわっていきました。しかしけいしゃすくなく、ながれのわるようすいかられるみずは、それほどおおくはありませんでした。そのため、このようすいようするのうみんあいだでは、みずをめぐってのあらそいがおこりがちでした。とくにあめらず、みずりないときはひどかったようです。

ようすいは、すいでんみずをひくためだけにようされていたのではありませんでした。すいやせんたく、ふろのみず使つかうなどすいどうができるまでのたいせつせいかつようすいでした。あさのうちはすい使つかい、それがわるころに、せんたくをするというきまりがあったようです。また、すいでん使つかわれるまえみずは、よごれていないので、まえみずいんりょうすいにもしていたそうです。げんざいは、ぎゃくにていからながされるよごれたみずようすいはいみ、みずがにごって、むかしのような使つかかたはできません。ようすいぞいのふるいえには、いまでもすいやせんたくのために使つかっただなばれるあらいのこっています。

ようすいぞいの「だな

7、とりがわとうしゅこう

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じゅうごうぜきは、しょう19ねん(1944)のこうずいながされてしまいました。そのあとじゅうごうぜきじょうりゅうおおよそ2キロきろメートルめーとるのところにあるろくごうぜきみずぐちひとつにするこうがすすめられ、しょう26ねん(1951)たまいしコンクリートこんくりーとていぜきがつくられました。

きゅうろくごうせき たまいしコンクリートこんくりーとていせき
しょう60ねんにとりこわされた)

それで、いまではじゅうごうぜきのあとをることはできませんが、むかしのひとびとが、みんなちからわせてつくったようすいぶんすいじょうは、いまもたくさんのこっており、くにけんすいひろくしたり、はいすいてんようするなどかいしゅうこうおこなって、りっやくっています。

しょう60ねんには、ろくごうぜきは、りゅうやく80メートルめーとるのところに、ながさ134メートルめーとるたかさ3.5メートルめーとるどうぜきかいちくされ、まえも「とりがわとうしゅこう」となり、どうされたきんだいせつとなりました。しろゲートげーとがみどりにえ、とりがわけいかんいっそううつくしいいろどりをあたえています。

とりがわとうしゅこうげんざいようすいとりいれくち

げんざいは、のうぎょうようすいばかりでなく、こうじょう使つかこうぎょうようすいや、じょうすいどうにも使つかわれており、とりがわやくは、ますますひろがってきています。

8、きゅうそんぼりますしょうすい

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とりがわとうしゅこうができて、はたけようすいしんぱいはなくなりました。いっぽうでは、はいすいこうもすすめられてきました。なかいきはもともとへいたんなところですいでんは、湿しつでんはん湿しつでんおもでしたので、おおあめるとぐにこうずいになりいえはたがいあたえてひとびとこまらせていました。また、40ねんごろからきゅうたくがすすみ、ていこうじょうはいすいが、ようすいほりながのうぎょうたいへんめいわくことにもなりました。そこで、じゅうごうようすいひとつだったきゅうそんぼりようすいからりはなし、はいすいせんようすいどうにすることになりました。

きゅうそんぼりは、なかななちょうせんだいきんあまみずはいすいあつめてながおおきくこうしながらふくろばらうちろうまるしょうがっこうきたながれ、こうせつじょうカーブかーぶおちあいかんからとりがわそそいでいるほりです。もともととりがわのむかしのながれのあとにつくられたようすいで、なかろくちょうみずほりからぶんすいしてきれいなみずながれて、ナマズなまずなどのかわざかながたくさんいたところでした。ごうがあるとはんらんするのでていぼうがありました。いまでもろうまるしょうがっこうきたがわどうがそのままていぼうとしてのこっています。

しょう39ねんからせんだいすいどうとしてかいしゅうこうをすすめていましたが、ほりとしてほとんどができのぼり、いまではなかかんせんはいすいとしてじゅうようやくわりたしています。また、はいすいにだけ使つかわれるようになったほりは、きゅうそんぼりのほか西にしかわほりみずほりがあり、これはしょう61ねんくにがつくったますしょうすいにつながれ、なかななちょうからってなんますがわながれるようになりました。

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