はじめに

なかさとへんしゅういんちょう
せんだいりつ西にしなかしょうがっこうちょう

(※昭和61年)

はしもと やすとも

ひらく

わたしたちのなかは、とりがわみなみがわとりへとつづいています。むかしから「とりさと」とよばれて、このほうちゅうしんでした。だいおうしゅうかいどうぞいの宿しゅくとしてさかえたまちで、きんはたけでとれたこめさいは、さかんにせんだいじょうまちおくられました。そのためこのなかには、むかしのよういまらせるちょうなものがたくさんのこっています。ところがこのなかなみあらわれ、はたはしだいにたくわり、それとともに、ふるいものも姿すがたして、むかしをがかりがうしなわれつつあります。また、よそのからうつむようになったひとかずもしだいにふえて、なかひとくなってきています。

ところが、なかにある西にしなかしょうなかしょうふくろばらしょうろうまるしょうひがしろうまるしょうの5こうせんせいがたあつまってけんきゅうかいがもたれたさいに、ねんねんうしなわれてゆくなか姿すがたほんにまとめ、どうみなさんはもちろんのこと、けいかたがたにもんでいただこうということになりました。

さっそくこうからいんせんせいがたにおあつまりをいただきごとはじめたわけです。それからいちねんつきをかけてこのほんをまとめたのです。このほんには、

  • げんざいなか姿すがた
  • このなかさんぎょうはどうなっているのか
  • こうつうようはどうか
  • なかはむかしどんなようをしていたか
  • このなかのこっているでんとうはないだろうか

などをのせています。このほんをよくんで、ただしいなか姿すがたをつかみ、もっとなかはってんさせようとするちをひとりひとりがってほしいものです。なおこのほんかんせいするまでにはおおくのかたがたのごじょげんをいただき、りょうをおりしましたが、あらためてふかかんしゃもうげるしだいです。


なかさと」によせて

せんだいなかこうみんかんちょう

(※昭和61年)

なかむら こういち

ひらく

わたしたちがんでいるなかは、むかしのひとに「とりさと」とよばれてしたしまれてきました。また、とりがわふるくからうたまくらとしてゆうめいであることもよくられております。ほかにも、めいしょきゅうせきがたくさんのこされております。

ところが、ざんねんなことに、なかのむかしについてのけんきゅうは、これまでじゅうぶんになされておりませんでした。それは、むかしのひとがのこしたたしかなりょうがすくなく、ほとんどは、むかしのひとつたえにたよらざるをえなかったからです。ちかごろは、むかしのようすをかたってくれるひともすくなくなりました。なんとかいまのうちに「なかれき」をほぞんし、つたえなければとかんがえているひともふえています。

このようなときに、せんせいがたのごきょうりょくしょうがくせいむけの「なかさと」が、みなさんのもとにとどけられたことは、とてもすばらしいことだとおもいます。みなさんは、このほんむことによって、むかしのひとまなびとることができるとおもいます。

このほんんでみますと、なかはってんれきは、とりがわようれきであったことがよくわかります。たびかさなるこうずいをふせぐためのしんふうは、ひろだいをつくり、こめづくりやさいづくりにせいこうし、げんざいさんぎょうはってんにつながっています。

また、とおいむかし、なかうみであったこともおどろきですが、うみみずがひいてとりがわをのこしりくになったなかのようすは、せきからうかがいることができるとかれています。

なかむみなさんは、むかしとかわらぬとりがわつめながらそだっています。みずながれにむかしをおもいめぐらしながら、このほんをじっくりんで、ふるさとをなおし、こころのゆたかなにんげんそだっていただきたいとおもいます。そして、みなさんもまた、この「なかさと」にあたらしいいちをつけくわえるようなちからはっきして、きょうのためにつくすにんげんせいちょうしていただければとねがっています。

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