はじめに
「中田の里」編集委員長
仙台市立西中田小学校長
(※昭和61年)
橋本 恭知
ひらく
わたしたちの住む中田地区は、名取川の南側で名取市へと続いています。むかしから「名取の里」とよばれて、この地方の中心地でした。江戸時代は奥州街道ぞいの宿場として栄えた町で、付近の田や畑でとれた米や野菜は、さかんに仙台の城下町へ送られました。そのためこの中田地区には、むかしの様子を今に知らせる貴重なものがたくさん残っています。ところがこの中田地区も都市化の波に洗われ、田畑はしだいに宅地に変わり、それと共に、古いものも姿を消して、むかしを知る手がかりが失われつつあります。また、よその土地から移り住むようになった人の数もしだいにふえて、中田を知る人が少くなってきています。
ところが、中田地区にある西中田小・中田小・袋原小・四郎丸小・東四郎丸小の5校の先生方が集まって研究会がもたれた際に、年々失われてゆく中田の姿を本にまとめ、児童の皆さんはもちろんのこと、父兄の方々にも読んでいただこうということになりました。
早速5校から委員の先生方にお集まりをいただき仕事を始めたわけです。それから一年の月日をかけてこの本をまとめたのです。この本には、
- 現在の中田地区の姿
- この中田地区の産業はどうなっているのか
- 交通の様子はどうか
- 中田はむかしどんな様子をしていたか
- この中田地区に残っている伝統はないだろうか
などをのせています。この本をよく読んで、正しい中田の姿をつかみ、もっと中田を発展させようとする気持ちをひとりひとりが持ってほしいものです。なおこの本が完成するまでには多くの方々のご助言をいただき、資料をお借りしましたが、改めて深く感謝申し上げるしだいです。
「中田の里」によせて
仙台市中田公民館長
(※昭和61年)
中村 浩一
ひらく
わたしたちが住んでいる中田は、むかしの人に「名取の里」とよばれてしたしまれてきました。また、名取川は古くから歌まくらとして有名であることもよく知られております。ほかにも、名所、旧跡がたくさんのこされております。
ところが、ざんねんなことに、中田のむかしについての研究は、これまで十分になされておりませんでした。それは、むかしの人がのこしたたしかな資料がすくなく、ほとんどは、むかしの人の言い伝えにたよらざるをえなかったからです。ちかごろは、むかしのようすを語ってくれる人もすくなくなりました。なんとか今のうちに「中田の歴史」をほぞんし、伝えなければと考えている人もふえています。
このようなときに、先生方のご協力で小学生むけの「中田の里」が、みなさんの手もとにとどけられたことは、とてもすばらしいことだと思います。みなさんは、この本を読むことによって、むかしの人の知恵を学びとることができると思います。
この本を読んでみますと、中田の発展の歴史は、名取川の利用の歴史であったことがよくわかります。たびかさなる洪水をふせぐための苦心と工夫は、広い大地をつくり、米作りや野菜づくりに成功し、現在の産業の発展につながっています。
また、遠いむかし、中田は海であったこともおどろきですが、海の水がひいて名取川をのこし陸地になった中田のようすは、遺跡からうかがい知ることができると書かれています。
中田に住むみなさんは、むかしとかわらぬ名取川を見つめながら育っています。水の流れにむかしを思いめぐらしながら、この本をじっくり読んで、ふるさとを見なおし、心のゆたかな人間に育っていただきたいと思います。そして、みなさんもまた、この「中田の里」に新しい一ページをつけくわえるような知恵と力を発きして、きょう土のためにつくす人間に成長していただければとねがっています。